出自と経歴
- 韋保衡、字は蘊用、京兆の人。祖父は元貞、父の愨は共に進士第に登った。愨、字は端士、太和初に及第し累く使府を佐し入朝して台閣を歴任した。大中四年、礼部侍郎を拝した。五年、選士では多くの名人を得、方鎮の節度を歴任して卒した。
保衡――同昌公主との縁と昇進
- 保衡は咸通五年に進士第に登り累く起居郎を拝した。十年正月、懿宗の娘の同昌公主を娶った。公主は郭淑妃の生んだ子で妃は寵愛が深く、降嫁の日には宮中の珍玩を傾けて贈与の資とした。まもなく保衡は翰林学士となり郎中に転じ正式に中書舎人・兵部侍郎を拝し承旨となった。一年経たぬうちに本官のまま平章事となった。
- 保衡は恩権を恃み元来不快とする者は必ず排斥した。王鐸は貢挙の師、蕭遘は同門生であったが、元来その人柄を軽んじており共に擯斥した。楊収・路巖は中書で自分を礼遇しなかったとして讒言を捏造し逐った。起居郎から宰相まで二年の間に階は特進・扶風県開国侯・食邑二千戸・集賢殿大学士に至った。十一年八月、公主が薨じると以後恩礼は次第に薄くなった。咸通末、淮・徐で盗が起こり、元来怨みを持つ者たちが保衡の陰事を暴き、保衡はついに罪を得て死を賜った。
- 弟の保乂は進士第に登り尚書郎知制誥から翰林学士に召され礼部・戸部・兵部の三侍郎・学士承旨を歴任したが、保衡の罪に連座し免官された。