経歴
- 李祐、もとは蔡州の牙将。呉元済に仕え驍勇で戦に長けた。朝廷軍が淮西を討伐すると祐は行営将として官軍にしばしば対抗し、皆これを恐れた。元和十二年(817年)、李愬に捕らえられた。愬は祐に胆略があることを知り死罪を免じ厚遇した。誠意をもって信頼関係を築き寝食を共にし、しばしば陣中で夜通し密かに語り合った。外で聞き耳を立てる者はしばしば祐の感激して泣く声を聞いた。しかし軍中では以前祐に殺傷された者が多く、陣中の兵士たちが集まって議論し皆祐を殺さなかったことを恨んだ。愬は衆情が怨みに向かっていることを見て祐の身を全うできないと考え、祐を京師に送り上表して助命を求めた。憲宗は特に赦し祐を愬のもとへ送り返した。愬は大いに喜び直ちに精兵三千を祐に付した。祐の言葉を疑うことなく聞き入れ、結局祐によって蔡州が破られ元済が捕らえられた。功により神武将軍を授けられ、金吾将軍・検校左散騎常侍・夏州刺史・御史大夫・夏綏銀宥節度使に遷った。
- 宝暦初、右金吾大将軍として朝廷に入った。まもなく吐蕃の侵攻に際し涇州刺史・涇原節度使に出された。太和初、李同捷討伐に際し検校戸部尚書・滄州刺史・滄德景節度使に遷った。太和三年五月(829年)に没した。