舊唐書卷一百六十一 列傳第一百十一 李珙

出自と経歴

  • 李珙、山東の名門の出で代々婚姻を結んできた家柄。珙の代になると読書を好まず弓馬にのみ励んだ。身長六尺余り、気概と容貌は堂々としていた。かつて沢潞の李抱真を訪ねると、抱真はその非凡さを認め衙門将に選ぼうとしたが、酒に酔って気を吐いたため再び棄てようとした。都将王虔休は抱真に「李珙は奇士です、用いられないなら殺した方がましです、他人に得させてはなりません」と述べた。
  • 抱真の死後、虔休が帥となると珙は虔休を頼り昭義の大将となった。吐突承璀が盧従史を捕らえた際、烏重胤は実はその謀に参与していたが、珙は初めそれを知らず従史を救おうとした。重胤が朝旨を受けたことを聞くと様子見をして進まず、重胤はこれを恩に感じた。後に重胤が河陽を統率すると珙を麾下に置いた。しかし朝廷は珙が従史と親しかったことから結局北辺の一校として出された。
  • 元和十年(815年)、淮西討伐に際し重胤が懇ろに諸道行営都虞候に推薦し、詔で特に許された。まもなく母の喪により職を離れた。喪が明けると右武衛上将軍に任じられた。長慶四年八月(824年)に六十四歳で没した。朝を一日廃した。