舊唐書卷一百五十二 列傳第一百二 史敬奉

少壮な体躯に隠れた武勇

  • 敬奉、靈武の人。若くして牙将となり、元和十四年、鹽州城下で吐蕃を大破し実封五十戶を賜った。それ以前、西戎の連年の侵攻に対し節度使杜叔良に三千の兵と一月分の糧を求め深く蕃界へ侵入する策を献じ、叔良は二千五百人を与えた。敬奉は十余日行方不明のまま他道を経て蕃衆の背後に回り込み奇襲で大破、蘆河まで残敵を追い落とし羊馬駝牛数万を得た。
  • 体躯は小柄で衣服にも負けそうなほどだったが、野外での騎馬では奔馬を捕え自ら鞍を装着して跳び乗るほどの技量を持ち、甥姪や従僕約二百人を常に従え、敵陣進入時には四五隊に分けて水草を頼りに各個行動させ、数日後の合流時には皆戦果を挙げているという用兵を得意とした。
  • 鳳翔の野詩良輔・涇原の郝玼と共に辺境随一の名将として知られ、吐蕃の使者が「唐は我らと和好しているというが、それなら何故野詩良輔を隴州刺史にするのか」と語ったという逸話が伝わるほど恐れられた。

史論

  • 史臣曰く――中原に賊が起こって以来、河隴が虜に陥り犬戎(吐蕃)がしばしば都畿を侵す中、謀臣は策を尽くし武士は戈を執って休む暇もなかった。馬璘・劉昌のような材力ある将は奮命して虜を呑まんとし、郝玼・史敬奉のような驍雄は将を斬り旗を奪い塞外に威を示そうとした。しかし結局、北は白道を越えず西は蕭関を出ることなく、十九郡の生民を左袵(異民族の支配)に沈ませ、辛うじて自らを保つのみに終わった――功をどこに求めればよいのか。時運によるところもあるが、将略が至らなかった面もあろう。王棲曜・張萬福の節概、李景略の気概は、まことに壮というべきである。
  • 贊に曰く――馬璘・劉昌・史敬奉・郝玼は皆辺境で雄志を示した。異民族を防いだ力は、衛青・霍去病に及ばぬながらも慚じることはない。張萬福の義勇、李景略の気概は壮んであったが、人に忌まれ慷慨も空しく終わることもあった。