舊唐書卷一百五十二 列傳第一百二 郝玼

西辺で吐蕃に畏怖された守将

  • 玼、涇原の戍将。貞元中、臨涇鎮将として吐蕃に「勇敢無敵」と恐れられた。臨涇の要衝性を見抜き節帥に築城・増兵を進言したが当初は聞かれず、節度使段佐の代に採用され元和三年に築城が実現、玼は行涼州刺史としてこれを守った。以後、吐蕃の侵攻は臨涇を越えられなくなった。
  • 玼は虜の捕虜を必ず屍を送り返す方式で恐怖を与え、吐蕃の贊普は「郝玼を生け捕った者には身の丈と同じ量の金を与える」と国中に令したという(吐蕃の泣く子は玼の名で脅されたと伝わる)。十三年、檢校左散騎常侍・渭州刺史・御史大夫・涇原行营節度・平涼鎮遏都知兵馬使・保定郡王。吐蕃が畏れ排除を図ったが朝廷は驍将を失うことを惜しみ慶州刺史に移し、そのまま在任中に没した。

附 段佐

  • 佐もまた勇敢で知られ、若くして郭子儀に牙将として仕え辺境征討で功を挙げた。貞元末、涇原節度使として辺境を守り、西蕃に恐れられた。檢校工部尚書・右神策大將軍に至り、元和五年卒。