舊唐書卷一百四十四 列傳第九十四 杜希全

鹽州再築城と辺境防衛

  • 希全は京兆醴泉の人。郭子儀の裨将から朔方軍節度使に至り軍令厳粛で士卒に慕われた。徳宗の奉天在陣に鹽州刺史戴休顏・夏州刺史時常春と合流して赴いたが、漠谷で朱泚に阻まれ進めず邠州に退いた。功により檢校戶部尚書・行在都知兵馬使。徳宗の帰京後、太子少師・檢校右僕射・靈州大都督・御史大夫・靈鹽豐夏等州節度支度營田觀察押蕃落等使・余姚郡王。
  • 靈州赴任にあたり《體要》八章を献じ諫言、徳宗は《君臣箴》を著してこれに応えた(箴の要旨:君臣が互いの直言を尊び、忠賢が讒言に敗れることのないよう戒め、稷・契や魏徴の故事を範とすべしと説く)。
  • 鹽州は貞元三年の吐蕃劫盟以来陥落したままで辺境の要衝であったため、九年、徳宗は詔で渾瑊・杜希全・張獻甫・邢君牙・韓潭・王棲曜・範希朝の各軍から三万五千を集めて再築城を命じ、神策將軍張昌宜が知鹽州事、六千人で二旬にて完成させた。同時に涇原・劍南・山南諸軍に吐蕃を牽制させたため虜は塞を犯せず、完工後は靈武・銀夏・河西が安定した。
  • 希全は晩年河西で驕慢となり、自分を脅かしかねない豐州刺史李景略を誣告して貶させ、判官李起を殺すなど専横が目立った。貞元十年正月卒、廢朝三日、贈司空。