出自と玄宗擁立の功
- 鍾紹京は虔州贛の人。司農録事から書に巧みで鳳閣に直仕えし、則天期の明堂門額・九鼎の銘や諸宮殿の門榜はすべて紹京の筆による。景龍中、苑総監となった。
- 玄宗が韋氏を誅する際、紹京は夜中に戸奴・丁夫を率いて従い、事の成った夜に銀青光禄大夫・中書侍郎に拝され機務に参与、翌日には中書令に進み光禄大夫を加え越国公に封じられ、実封五百戸・物二千段・馬十匹を賜った。専権により賞罰を恣にし当時の人々に嫌われ、自ら上疏して官を辞そうとし、睿宗は薛稷の言を容れて戸部尚書に転じさせ蜀州刺史に出した。
失脚と晩年
- 玄宗即位後、戸部尚書に再任され太子詹事に遷ったが、姚崇に嫌われその讒言で綿州刺史に左遷、さらに事に連座して累貶され琰川尉となり、階爵・実封をすべて剥奪された。のち温州別駕を経て開元十五年に入朝し、玄宗に旧功を涙ながらに訴えると、その場で銀青光禄大夫・右諭徳を拝命、のち少詹事に転じた。八十余歳で没した。
- 紹京は書画古跡を好み、二王(王羲之・王献之)や褚遂良の書を数十百巻集めた。建中元年、太子太傅を追贈された。