洪秀全演義第四十七回 曾国藩会して五路の兵を興し、林啓栄九江府に節を尽くす (曾國藩會興五路兵 林啟榮盡節九江府)
塔齊布の最期
- 城壁からの銃撃で二発被弾した塔齊布は、李興隆・元戒の追撃を受けてなお「匹夫の林啟榮に辱められて生きられるか」と再戦を試みるが、陣形を整える間もなく左右から攻められ全軍が大敗する。
- 呉坤修に「己は戦場で死ぬのが本望」と諭され、諭されて「大将が死ねば全軍が壊滅する」との説得でようやく傷を負ったまま退く。
- 軍は一万余から四五千にまで減り、塔齊布は「林啟榮ごときに敗れるとは」と落涙し、喀血しながら曾国藩宛に遺書をしたためる。内容は、長年の恩顧への感謝、九江が長江中流の要衝であり武昌・安慶・金陵攻略の鍵であること、自身の死を悼まず全力で九江攻略を続けてほしいという訴えであった。
- その夜、塔齊布は軍中で没した(享年四十余)。当時の人がその生涯を悼む詩を残したという(内容:若くして団練より身を起こし清朝に尽くした武勇と、九江で名将としての生涯を終えた無念を詠むもの)。
曾国藩の昇進と九江総攻撃計画
- 曾国藩は塔齊布の死を知り激怒し、林啟榮を討つ決意を固める。彭玉麟も九江奪還と林啟榮打倒の必要を説いた。
- 曾国藩は塔齊布の功績を上奏し、清廷は塔齊布に太子少保・一等男爵を追贈、諡「忠武」を与え専祠に祀ることとした。旧部下は李続賓・胡林翼両軍に配された。
- 清廷は曾国藩を両江総督・欽差大臣に任じ、江蘇・安徽・浙江・江西四省の軍務を統括させた。これまで曾国藩の兵権集中を警戒する声もあったが、他の満洲大臣が軍功を挙げられぬ中、咸豐帝は漢人重臣の登用に傾いた。
- 曾国藩・官文・胡林翼は協議し、九江攻略には十万規模の兵力が必要と判断。まず勝保・徳興阿・都興阿らに金陵を牽制させて李秀成を足止めし、その間に本隊は表向き武昌・安慶攻めを装いつつ、実際は五路に分かれて九江へ進軍する策を立てた。
李秀成の見立てと金陵帰還
- 李秀成は皖南平定中、曾・胡らの動きを聞き、「安慶攻めは陽動で、真の狙いは楊沛・塔齊布を討った九江だ」と見抜き、陳得才・陳玉成・李世賢らに備えを命じつつ、自らは動かず様子を見た。
- しかし金陵が勝保・徳興阿・都興阿の三路に脅かされているとの報が入り、洪秀全は李秀成に帰還を厳命。李秀成は「今回軍すれば敵の計にかかる」と考えたが、繰り返しの厳しい詔に従わざるを得ず、皖南の防備を固め、林啟榮に九江死守と李世賢の後詰めを託して金陵へ帰還した。
- 帰還前、李秀成は上奏文で「天王は金陵に固執しすぎている。北京こそ清朝の命脈であり、北伐こそ根本策である」との持論を改めて説いたが、洪秀全は動じなかった。
- 朝議では成天豫・蒙得恩が李秀成を擁護し、洪仁達は兵権集中への懸念を述べて対立、蒙得恩は陰で安・福二王の専横を憂えた。
九江攻防戦(開戦)
- 李秀成が金陵に戻ると、曾国藩ら五路の大軍(官文・曾国藩・胡林翼・李続宜・水師)が九江を包囲。林啟榮は諸将を励まし、遠距離砲撃・銃撃・火器による三段構えの防戦策を敷き、洋式兵器も備えて迎え撃った。
- 初日の攻撃で清軍は八千余の死者を出して撃退される。李続宜の献策で交代攻撃に切り替えるが、林啟榮も堅固に築いた城壁(棉花と鉄網で砲弾を防ぐ構造)と伏兵で対応し、さらに七千余の損害を与えて清軍を退けた。
水戦の計略と夜襲
- 清軍が意気消沈する中、林啟榮は部将魏超成に偽りの内応を持ちかけさせ、楊載福・彭玉麟の水師を西濠へ誘い込んで火計で撃破、清の水軍に大損害を与えた。
- さらに林啟榮は李興隆に二千の兵を率いさせて官文の本営を奇襲、清軍に五千余の死傷者を出させ、提督李曙堂・都統舒保らを負傷させて悠々と城内へ帰還した。
長期包囲戦と林啟榮の善政
- 度重なる敗北に清軍は退却も検討するが、胡林翼が「九江を落とせねば東南は永遠に奪還できない」と鼓舞し、包囲による兵糧攻めへと戦術を転換した。
- しかし林啟榮は九江に運河を引き、屯田や税田で軍糧を数年分蓄え、製鉄局まで整備するなど平時から周到に備えており、包囲されても城内に不足はなかった。
- 地の文では林啟榮の善政(義学・保嬰局・義倉・善堂・宣講所・恤孀局の設置、貧民救済、老人への宴、部下を「兄弟」として遇する統率ぶり)が語られ、軍民ともに深く慕われていたことが記される。曾国藩すら彼を「林先生」と呼び敬服していたという。
決死隊による焼討ちと地道戦
- 攻めあぐねた官文・曾国藩・胡林翼は死士二千を募り、火器を携えて城壁焼討ちを敢行させるが、林啟榮は日頃の投擲訓練を活かした兵に迎撃させ、清軍に万余の死傷(李続宜も負傷)を与えて撃退した。
- なおも決着つかず、胡林翼は地道(坑道)を掘って火薬で城壁を爆破する策を献策。表向きは攻城を装いつつ四方で坑道工事を進めさせる。
- 林啟榮はこれを見抜き、城内からも対抗の坑道を掘らせ鉄板・巨石で防ぐが、外部からの援軍が来ない焦りを深める。李世賢へ救援を求めるも、金陵情勢のため思うように動けない状況が続いた。
- 林啟榮は諸将に「援軍が来ねば九江は持ちこたえられまい。各自身の振り方を考えてよい」と語るが、諸将は「将軍と生死を共にする」と涙して誓う。そこへ清軍が四門に一斉攻撃を仕掛けてきた。
決戦の行方は次回に続く。