洪秀全演義第四十六回 李秀成義もて趙景賢を釈し、林啓栄塔斉布を大破す (李秀成義釋趙景賢 林啟榮大破塔齊布)

楊沛の敗死

  • 九江で地雷と伏兵にあって大敗した楊沛は、彭玉麟の水師の助けでようやく脱出し、曾国葆とともに黄梅県へ退いた。
  • 陳玉成が英山から黄梅方面へ再侵攻するとの噂に怯え、進退窮まった楊沛は、李続宜・李孟群が湘軍を募って広済に至ったと聞き、そちらへ合流する。
  • 広済で李孟群が「驕らず慎み実務に励むべし」と説いたのを、かつて総督だった自分への当てこすりと受け取った楊沛は、羞恥と憤りから喀血し、数日で病没した。残された部隊は李続宜が統べることとなった。

曾国藩・胡林翼、九江総攻撃を決意

  • 楊沛の死後、曾国藩・胡林翼らは、これまで幾度も林啟榮一人に阻まれてきた九江攻略に、諸将の力を結集して臨む決意を固めた。
  • この動きは金陵の李秀成の耳にも届く。

李秀成、出師の準備

  • 李秀成は洪秀全に、林啟榮の功を讃えつつも「一将で数将に敵するのは難しい。九江は要衝ゆえ、周辺の清軍を掃討して根本を固めねばならぬ」と進言し、出兵を願い出る。洪秀全もこれを認めた。
  • 出発にあたり、安・福両王が権を専らにすることを警戒し、政務は蒙得恩・成天豫・劉統監の三人に託し、軍報司を設けて文報を状元程文伯に司らせた。
  • 鎮江には陳坤書を配して守らせ、羅大綱には淮南・皖北を、楊輔清には浙江・閩浙方面を、李世賢・黄文金には江西の軍務を委ね、曾国藩・左宗棠らへの備えとした。
  • 準備を終えた李秀成は金陵より西進し、太平・蕪湖を経て、松王陳得風・健将頼漢英を先に石埭へ向かわせ、自らは銅陵を目指した。

銅陵の戦い(李元度と趙景賢の対立)

  • 清の道員王珍は石埭を守り、李元度・趙景賢・周鳳山らは銅陵一帯を固めていた。李秀成の大軍接近の報に、趙景賢は籠城して曾国藩の援軍を待つべきと主張したが、李元度は「これ以上退けば士気に関わる」と主戦論を唱え、周鳳山も同調。
  • 趙景賢は「空城で出屯するのは兵家の禁」と重ねて諫めたが容れられず、三路に分かれて銅陵郊外に布陣することになった。
  • 李秀成は疲弊を誘う持久策を避け、混戦策で一気に攻めかかり、李元度軍を撃破。趙景賢は銅陵に退いて守りを固めるが、石埭方面では頼漢英・陳得風の軍が王珍を討ち取り、周鳳山は敗走して池州へ逃れた。

銅陵陥落と趙景賢の捕縛

  • 李秀成は開戦前にひそかに便衣の兵を城内に紛れ込ませており、勝機を見て一斉に銅陵を包囲・攻撃。城内で火の手が上がり混乱する中、東門・甫門が相次いで破られ、趙景賢は西門・北門と逃げ道を塞がれ、ついに李秀成自らの前で捕らえられた。
  • 李秀成は捕虜の趙景賢を丁重に扱い、投降を勧める。趙景賢は「忠臣は二君に事えず」と拒み、速やかな処刑を求めたが、李秀成は「一人を殺しても益なし」と述べ、酒宴を設けてもてなした。

趙景賢の釈放

  • 酒席で趙景賢が恩に報いる術のなさを述べると、李秀成は「見返りを求めて釈放したのではない」と答え、両者は互いの立場への理解を語り合った。
  • 趙景賢は「以後は忠王と刃を交えぬ」と誓い、翌朝、李秀成は護衛を付けて丁重に見送り、道中も長く手を取って語り合った。
  • 別れ際、李秀成は「李鴻章が洋兵を借りて戦おうとしていると聞く。同じ中国人同士が争うのに外国の力を借りて同胞を損なうべきではない、と伝えてほしい」と託言した。趙景賢は感じ入り、別れを惜しみつつ去った。

曾国藩への報告と九江奇襲策

  • 趙景賢は帰還後、江西にいた曾国藩に銅陵敗戦の経緯と、李秀成の人物・自らが釈放された次第を詳しく報告した。
  • 曾国藩は諸将と対応を協議。彭玉麟は「今、李秀成と正面から戦うのは得策でない。まず安慶、そのためにまず九江を攻略すべき」と説く。
  • 提督塔齊布は「林啟榮に強いのは味方の動きを事前に察知されるためで、明攻ではなく暗襲すべし」と献策し、精鋭七千で九江急襲を志願。曾国藩はこれを許し、あわせて楊載福の水師を湖口へ密かに渡らせ、呉坤修にも兵を率いて九江へ向かわせた。

林啟榮の迎撃

  • 用心深い林啟榮は塔齊布らの動きを事前に察知し、「大軍でなく塔齊布一人での来襲は暗襲に違いない」と見抜く。城内は平静を装いつつ、城楼に火器を持った精鋭を伏せ、李興隆・元戒にも精兵を分けて左右に伏兵させた。
  • 油断して夜襲を仕掛けた塔齊布軍は、城壁からの一斉射撃で大損害を受け、塔齊布自身も肩と背に被弾して落馬。退却しようとしたところへ李興隆・元戒の伏兵が左右から殺到した。

塔齊布の生死は次回に続く。