洪秀全演義第四十回 羅沢南興国州に走り死し、羅大綱夜揚州府を奪う (羅澤南走死興國州 羅大綱夜奪揚州府)
武昌陥落
地雷は多数の清兵を殺傷したが、清軍はひるまず攻撃を続けたため、譚紹洸は武昌を放棄して興国州へ撤退することにした。
羅澤南の興国州攻めと敗死
胡林翼は羅澤南に興国州攻略を命じた。興国州に入った譚紹洸は、部将馮文炳の献策で女性兵も含む義勇隊を用いた奇計を用意し、羅澤南軍を金湖付近で大破した。羅澤南は敗走の途中、単騎で道を尋ねた際に隠れていた少年(猟師の子)に不意打ちされ射殺された。清側はこの報に衝撃を受け、羅澤南の死を悼み、朝廷は手厚く弔いを行った。
武昌方面のその後
李秀成は興国州で譚紹洸と合流し、武昌一城の得失よりも根本である南京の防衛を優先する方針を確認した。廬州を守っていた羅大綱には、揚州攻略に向かうよう指示が出された。
羅大綱の揚州攻略
羅大綱・賴漢英は揚州へ進軍した。羅大綱は事前に精兵を城内に潜り込ませて内応させ、夜襲と放火で城内を混乱させたうえで城壁を爆破して突入。参将祥林と知府世焜をいずれも討ち取り、揚州を陥落させた。