洪秀全演義第三十八回 桐城を取り陳其芒鏖兵し、朝旨を奉じ左宗棠将を拝す (取桐城陳其芒鏖兵 奉朝旨左宗棠拜將)

上海城陥落

何桂清・吳建章は兵を集めて劉麗川討伐に向かうが、清兵が投石するなどして西洋人の怒りを買い、かえって信用を失った。その隙に劉麗川配下が上海城内で内応し、守備の武官らを殺害して四門を占拠。陳連も呼応して城内の清の官吏を追い落とし、上海城は陥落した。李秀成はこの勝利を賞し、洪天王が九江・江西を平定したのを受けて自らは安徽へ進撃を決定、楊輔清を鎮江方面へ向かわせた。

洪天王の宿松通過と民心収攬

天王は九江の守備を林啟榮・孫寅三に託し、安徽へ進軍した。途中の宿松では民衆を手厚く慰撫し、貧しい母子の孝心話などを通じてその仁政ぶりが描かれる。安慶に入ると黄文金と作戦を協議し、羅大綱を懐慶から湖北方面へ向かわせ、自らは桐城攻略に向かうことを決めた。

桐城攻略

桐城守将の虎嵩林と張亮業は、決戦策と籠城策で意見が対立したまま籠城することになった。陳其芒は内応者王以成の手引きで夜襲を計画し、劉文光の合図により城内に放火させて混乱に乗じ、桐城を陥落させた。参将萬長清と張亮業はともに討死した。天王は内応の功労者王以成を賞しつつ、無断で城内に放火した点は戒めた。

鮑超との戦い

桐城陥落を知った清将鮑超は救援に向かったが間に合わず、陳其芒に敗れて大通へ退却した。これにより安徽全域が動揺した。

左宗棠の登用

清廷は戦果の上がらない安徽巡撫呂賢基を更迭し、鮑超を提督に据えるなど人材登用を進める中、湖南の挙人左宗棠が注目される。左宗棠はかつて洪天王に上書したが用いられず、以後は清への協力を選んだ人物だった。胡林翼の強い推挙と曾国藩の後押しにより、清廷は左宗棠を五品京堂に抜擢し、皖南の軍務を任せることになった。