洪秀全演義第三十七回 陳英王江西の地を平定し、劉麗川計りて上海城を取る (陳英王平定江西地 劉麗川計取上海城)

南昌攻防の軍議

陳玉成が南昌に迫ると、清の巡撫嚴樹森と臬司李續宜は籠城策か野戦策かで意見が対立した。嚴樹森は籠城に固執し、結局李續宜に一万の兵をつけて城外に駐屯させ、自らは城を守るという妥協案を採った。

陳玉成の南昌攻略

陳玉成は李續宜軍の右翼が手薄なのを見抜き、孫寅三・張祖元・雷煥らに分進を命じて包囲する策を取った。李續宜は各方面から攻められて敗走し、部将何鳳林は戦死。陳玉成本隊は南昌城を包囲、韋昌祚は背後の山から城内を砲撃して巡撫衙門を破壊した。嚴樹森は変装して城を脱出し、南昌は陥落した。陳玉成は倉庫の米穀を農民に分け与えるなど民心を得て、近隣州県を次々招撫。天王はこの功により陳玉成を英王に封じた。

劉麗川・陳連の上海挙兵計画

李秀成は上海を武力で攻めるより内部から蜂起させる方が得策と考え、粤人劉麗川・閩人陳連を上海へ派遣した。計画は事前に漏れたが、租界内の彼らに清の官吏は手出しできず、告示を出すだけで取り締まれなかった。両江総督何桂清・上海道吳建章はかえって劉麗川らに脅されて謝罪する始末となった。

孔廟襲撃と上海挙兵

劉麗川は孔廟の祭典に乗じて清の官吏を襲撃し、上海知県袁梓材を殺害、上海道吳建章を捕らえた。米国領事の仲介で吳建章は逃亡に成功する。劉麗川はこれに怒って米国領事に抗議書を送り、一時は租界への攻撃も検討したが、蘇州の天国守将汪大成の忠告を受けて思いとどまり、租界には手を出さず上海城攻略に専念することにした。