金史卷一百四 列傳第四十二 赫舍哩呼實黙
軍事参議の失
- 赫舍哩呼実黙、上京路明安の人。明昌5年(1194年)進士。尚書省令史に補せられ、中都路度支判官、河北東路都勾判官を歴任し、翰林直学士・大理卿・右諫議大夫に累進。興定2年(1218年)、伐宋の元帥左都監赫舍哩約赫徳の参議官に充てられた。約赫徳は楚州に至り、行省布薩安貞の節制を待たずに輒く進兵し、宋人は堅壁して出ず、野には掠奪すべきものがなく軍士は疲乏し餓死者が続出したが、直前して長江に至り引き返した。安貞はこれを弾劾し、約赫徳は不奉詔の罪に問われたが、約呼実黙は矯正しなかったとして特に詔で許された。
- 同知彰徳府事に転じ、五度遷って吏部尚書となり、5年(1221年)御史大夫を拝命、元光元年(1222年)大司農を兼ね、2年(1223年)薨じた。宣宗は輟朝し百官が致奠した。