金史卷九十六 列傳第三十四 梁襄
段階
- 字は公賛、絳州の人。幼くして孤児、大定三年(1163年)進士、慶陽府推官などを経て薛王府掾。世宗の金蓮川巡幸を長大な上疏で諫めた(気候の過酷さ、輸送の困難、警備の困難、燕京の地の利の優位性、遼の故事との比較、盗賊への戒めなど詳論)。世宗は容れて中止したが「隋煬帝との比較は過当」と評した。この直言により名声を得、監察御史、通逺軍節度副使などを歴任、保大軍節度使で卒去。春秋左氏伝に長じ、蓄財を好まず淡薄な生活を送った。
史論
- 金は東海より起こり、建国と同時に科挙を設けて文治を志した。大定年間には人材が輩出し文義が盛んになった。世宗の聴納により議論・上書が伝わったが、史書には全文が残らず、梁襄の北幸諫止の一書のみが伝わる。辞は繁多だが意は切実であるためここに全載した。当時の君明臣直、言を忌まぬ様子が窺え、金の治世の盛時であったといえる。