金史卷九十六 列傳第三十四 許安仁

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  • 字は子静、献州交河の人。幼くして孤児となり刻苦して学を修めた。大定七年(1167年)進士、太常博士から東宮(章宗)の講学に選ばれた。流人実辺策への反対意見(漢の募民実辺との違いを説明)、明昌四年(1193年)景明宮巡幸の諫止に成功。無隠論十篇を著した。汾陽軍節度使を経て泰和五年(1205年)致仕、享年七十七で卒去、諡は文簡。質実で君子の風があると評された。