金史卷九十五 列傳第三十三 董師中
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- 字は紹祖、洺州の人。皇統九年(1149年)進士、澤州軍事判官として強悍な賊を杖殺し治安を回復。監察御史として大名総管の不正を見逃した咎で降格されるも、明昌初め提刑司副使、御史中丞に至る。西北路招討使の任命問題で宗肅の贓罪未決を指摘し人事を差し止めた。景明宮巡幸を数度にわたり諫止(民の飢饉、辺境不安、財政負担を理由に)、最終的に容れられた。完顔守貞の復用を巡る議論、参知政事、尚書左丞を歴任。承安四年(1199年)致仕、宅一区を賜り寒食の帰省を許された。泰和二年(1202年)薨去、享年七十四、諡は文定。工文性通達で疎財尚義、弟師儉の登用を助けた清廉さで知られた。