金史卷九十五 列傳第三十三 劉瑋

段階

  • 字は徳玉、咸平の人。熙宗が旧例に基づき進士及第を賜った経緯を持つ。戸部主事、監察御史などを経て、世宗に「劉瑋はまだこの位に留まっているのか」と評され戸部員外郎に抜擢。宋への信副使を歴任し、戸部侍郎から尚書に至る。衞河決壊の治水では「天生五材が相休王する」との論に基づき秋冬の交に工事を行い成功、増秩された。参知政事、尚書右丞に至り、考課法の是非を論じ、唐制(四善二十七最)と比較する議論を行った。明昌年間、享年不詳で卒去、諡は安敏。世宗が「心力多くを尽くしたが世宗以来朕を輔けるにあたり知りて言わぬことがあった」と評した逸話がある。