金史卷九十 列傳第二十八 賈少沖

段階

  • 通州の人、家貧しく遺金を主に返した逸話がある。天眷二年(1140年)進士、劉筈の妹との縁談を「富貴は自ら致すべき」と辞退。蔚州刺史の不法に阿らず廉直を貫いた。海陵の失道を予見し官を求めなかったが、大定二年(1162年)御史台典事に復帰、北京の獄事で誤って連座した多数を釈放。刑罰について堅く執奏する姿勢を世宗に称賛された。宋への使者としても賄賂を拒否、致仕後卒去。
  • 子の益は父の伴いで宋使に随行し「守死無辱」の覚悟を示し父を驚かせた。大定十九年(1179年)進士、吏部侍郎、順天軍節度使などを歴任、貞祐年間には陝西東路転運使、太常卿に至り元光九年(1220年)卒去。