金史卷八十三 列傳第二十一 耶律安禮

謹厳実直の吏

  • 約尼氏の出。幼くして父を失い母に孝行、遼末の動乱でも孝養を怠らず評判を得た。行台吏禮部主事から工部侍郎・尚書に至り、韓王亨の謀反鞫問では無実の証拠を上奏したが海陵の不興を買い(「梁王宗弼の故吏だから庇うのか」との疑い)、老僧との再鞫問で結局亨は殺され、安礼は「亨を殺すことで縁座を防いだ」との海陵の見立てとは裏腹に、上に阿らぬ姿勢を貫いた。吏部尚書・大房山諸陵造営監督・樞密副使・譚國公・尚書右丞・郕國公を歴任し、功臣封爵の議論や伐宋への密諫(海陵の不興を買い南京留守・温國公に落とされた)を行った。廉謹で伐宋にも従いながら財貨・人口を一切私せず、執政の身でありながら奴婢は数人のみで、いずれも契約を明記した正当なものであったことが賢とされた。享年五十六で薨じた。