金史卷八十三 列傳第二十一 張汝弼
華美を戒められた宰相
- 張浩の兄の子。正隆二年進士に及第、世宗の母方の縁戚関係から早くに帰参し、内蔵庫の不正会計を摘発し監督強化に功を挙げた。参知政事として女直明安穆昆の中都移住に伴う官地紛争(豪民の私田化)を是正、宋・高麗・夏との朝賀礼儀の議論にも関わり「誓書に遼の旧儀に従うと明記して既に四十年、変えるべきでない」と主張した。尚書右丞に至り、族弟汝霖と同日に拝命したことが栄誉とされたが、皇孫食料の擅増事件で削階処分を受け、廣寧尹に落とされた。宰相としては世宗に対し正面から諫めることは少なく、意向を汲んで導く婉曲な態度で「上の望むことは順って導き、望まぬことは微言で意を確かめる」流儀と評された。貪欲な蓄財で名園・珍玩を強引に取得したことも批判された。二十七年(1187年)薨じたが、妻髙氏が趙王永中との甥舅の縁を利用した邪な結託(永中の母の像を祀り祈祷、術者に運勢を占わせる等)が章宗即位後に発覚し誅されたものの、汝弼自身は既に死後であったため連座を免れた。