金史卷八十三 列傳第二十一 張𤣥素

東京の吏で剛毅の評

  • 高永昌の東京占拠時に開城帰順し銅州明安、西上閤門使・客省使・東宮計司を歴任、涿州知事として最優の評価を得た。魏王道濟の中京遥領に伴い同提点、鎮西軍節度使・東京路都転運使・興平軍節度使を歴任、正隆末の盗賊蜂起に際し城郭を修築し興平軍だけが無事だったという先見の明を示した。世宗即位後、海陵の意を迎合し世宗を讒言していたにもかかわらず世宗に不問とされ、李石とともに燕京遷都を進言、深く容れられた。戸部尚書・定武軍節度使を経て致仕、八十四歳で卒した。剛毅で人に畏憚され、腫瘍に一片の紙に文字を書いて貼ると治ったという逸話も伝わる。