太祖の諸子(総論)
- 太祖の聖穆皇后は景宣帝・豐王烏里・趙王宗傑を生み、光懿皇后は遼王宗幹を生み、欽憲皇后は宋王宗望・兗王宗雋・瀋王額魯を生み、宣獻皇后は睿宗・豳王鄂爾多を生み、元妃烏庫哩氏は梁王宗弼・衞王宗強・曹王宗敏を生み、崇妃蕭氏は紀王實訥埒・息王寧吉・莒王燕孫を生み、娘子特訥克は鄴王幹琿を生んだ。宗幹・宗望・宗弼は別に伝がある。
宗雋(本名額爾衮)――謀反による誅殺
- 天會十四年(1136年)、東京留守となる。天眷元年(1138年)、入朝して左副元帥達蘭とともに河南・陝西の地を宋に与えることを建議し、尚書左丞相に進み開府儀同三司兼侍中を加えられ陳王に封ぜられた。二年、太保領三省事となり、兗國王に進封したが、まもなく謀反の罪で誅殺された。
早世と海陵による追罰
- 天會五年(1127年)に薨じ、十三年(1135年)に孝悼と諡された。天眷元年、越王を追封され、長子奭は会寧牧・鄧王となり、のち上京留守・燕京・西京留守を歴任したが、皇統三年(1143年)に薨じた。その子阿蘭・達蘭は海陵の簒立を謀ろうとして殺され、海陵はさらに宗傑の妻も殺した。大定年間、宗傑に太師を追贈し趙王に進封した。