五代史演義第三十四回 陽城に戦い遼兵敗潰し、建州を失い閩主覆亡す (戰陽城遼兵敗潰 失建州閩主覆亡)

皇甫遇の苦戦と安審琦の救援

  • 偵察に出た皇甫遇と慕容彦超は遼の大軍に遭遇し、榆林店で方陣を組んで奮戦する。遇は落馬しても従者に馬を譲られ再び戦い、従者・顧知敏を敵中から救い出すなど激戦を続ける。
  • 日暮れても戻らない皇甫遇を案じた安審琦は、張従恩の制止を振り切り「たとえ危険でも見捨てられぬ」と自ら救援に赴き、囲みを解いて遇らを相州に連れ帰る。

晋軍の撤退と符彦倫の機転

  • 張従恩は兵糧不足を理由に黎陽への撤退を主張し軍を先導、混乱した晋軍は南へ潰走する。相州を守る符彦倫は僅かな守備兵しかいない状況で旗を並べ鼓を鳴らして威容を装い、遼軍を欺いて撃退する。

陽城・白団衛村の激戦

  • 晋主重貴は北伐に再び乗り出すが、劉知遠は「これ以上の遠征は危険」と懸念を示す。祁州刺史・沈斌は趙延寿の降伏勧告を毅然と拒み、城が落ちた際に自害する。
  • 杜威率いる晋軍は陽城・白団衛村で遼の大軍に包囲され、糧道を断たれ強風と砂塵の中で苦境に陥る。杜威が出撃を渋る中、李守貞・符彦卿・薬元福らが「風が我に味方する」と説いて逆風のまま出撃し、遼の鉄鷂軍を打ち破って大勝する。遼主耶律徳光は馬車で敗走し駱駝に乗り換えて逃げるが、杜威は追撃を怠り定州へ引き上げる。

杜威の専横と鄴都転任

  • 杜威(重威)は恒州で貴戚を恃み民を搾取し、財貨・美女を強奪するなど悪政を敷きながら、境内が荒廃したのを口実に入朝を望む。桑維翰は「勅命なく鎮を離れた」として処罰を進言するが、重貴は妹婿である情を優先し杜威を鄴都留守・天雄軍節度使に転任させてしまう。

遼との和平模索の失敗と晋の内政腐敗

  • 契丹の述律太后は徳光の中原支配に否定的な見解を示すが、徳光は「石氏の裏切りは許せぬ」と応じない。晋は和睦を求めて使者を送るが、遼主は「景延広・桑維翰が自ら来て鎮・定二道を割譲せよ」と応じず、交渉は決裂する。
  • 重貴は遼への警戒を怠り酒色・宮殿造営・優伶への過剰な恩賞に耽り、桑維翰の諫言も聞き入れない。馮玉・李彦韜ら佞臣が権勢を振るい、桑維翰は讒言により開封尹に左遷され失脚する。

閩の滅亡

  • 唐(南唐)は閩の内乱に乗じて建州を攻める。閩の統軍使・陳望は唐軍に敗死し、福州でも指揮使・李仁達らが延政の甥・王継昌を殺害、僧・卓巌明を傀儡皇帝に担ぎ上げるが、後に仁達自身が巌明を殺して威武軍留後を自称し南唐に帰順する。
  • 建州も唐将・王建封の攻撃で陥落し、延政は自ら縛って降伏。閩は王審知の建国から六代・五十年で滅亡した。

評語

  • 著者は白団衛村の戦いを「気盛んなれば一往して当たる者なし」の好例とし、李守貞・薬元福・符彦卿・皇甫遇らの果敢さを称える一方、杜威・張彦沢の臨陣での怯懦ぶりを厳しく批判する。重貴が杜威を重用し続けたことが後の禍根になったと示唆する。閩の延政については、保国の才も無く猜疑と殺戮に走った末の滅亡は当然であり、僧・卓巌明の非分の栄達もまたたく間の禍で終わったことを「非分の福には無妄の災いが伴う」戒めとして結ぶ。