五代史演義第三十三回 主の援けを得て高行周囲みを脱し、父に迫り降らせた楊光遠伏法す (得主援高行周脫圍 迫父降楊光遠伏法)

景延広の暴挙と遼の激怒

  • 遼の回図使・喬栄が大梁に来ると、景延広は彼を虎の威を借る者として投獄し財貨を没収、境内の遼商人も皆殺しにする。晋主重貴は群臣の諫めでようやく喬栄を釈放するが、延広は帰る喬栄に「翁(遼主)が攻めてくれば十万の横磨剣で迎え撃つ」と大言を書き記させ、これが遼主の怒りに火をつけ、遼は五万の兵を集めて南侵を決意する。

晋の飢饉と貝州陥落

  • 折しも晋は水旱と蝗害で大飢饉に見舞われる中、桑維翰は遼への謝罪を説くが延広は聞かず、劉知遠も密かに辺境防備を固めるに留まる。
  • 平盧節度使・楊光遠は晋への不信を強め、密かに遼に「晋は疲弊し攻めれば必ず取れる」と内通。遼は趙延寿を将として南下させ、貝州(知州・呉巒)を攻める。内応した軍校・邵珂が城門を開き、呉巒は井戸に身を投げて殉節、貝州は陥落し万人が殺された。

戚城の戦いと重貴の親征

  • 晋は高行周らを派遣して防戦し、重貴も親征に出る。景延広の指図で救援命令が遅れ戚城の高行周勢は包囲されるが、重貴自ら援軍を率いて駆けつけ、少将・高懐德(行周の子)の奮戦もあって囲みを解く。重貴は「これは延広のせいで遅れた」と嘆く。
  • 一方、李守貞らは馬家口で遼兵を撃破し遼将を多数捕らえる。楊光遠が遼と呼応しようとする動きは石贇の防備で阻まれる。

澶州の激戦と遼の撤退

  • 遼主耶律徳光は偽って北帰を装い伏兵を敷くが晋軍は動かず、業を煮やして自ら大軍で澶州を攻める。晋軍は弩を斉射して遼の猛攻を凌ぎ、両軍互角のまま遼は退く。景延広は退却を疑い追撃せず、遼軍は焼き討ちしながら悠々と引き上げた。

景延広の失脚と桑維翰の再登板

  • 桑維翰は戚城で救援しなかった責を延広に問い、延広は西京留守に左遷される。延広は河南府の税を私腹のため水増ししようとするが判官・盧億に諫められ思いとどまる。
  • 民は重税と武定軍への徴発で困窮するが、重貴は「開運」と改元し宴楽にふける。宰相馮道は無能を理由に更迭され、桑維翰が中書令兼枢密使として再び国政を主導、劉知遠を北面行営都統に、杜威を招討使に任じる。

楊光遠の滅亡

  • 桑維翰は宿敵・楊光遠の討伐を主導し、李守貞に青州を包囲させる。光遠は遼の援軍を頼むが薛可言に撃退され、食料も尽きて絶望。息子たちが降伏を勧めるが光遠は「自分は天子になる運命だ」と拒む。
  • 結局、息子たちが謀反の首謀者らを殺して開城し光遠を私邸に軟禁。重貴は光遠の処断を桑維翰に問い「速やかに正刑を」と勧められるも決断できず、結局は李守貞の部下が光遠を絞殺し「病死」として報告される。重貴はその子・楊承勲をも赦して官職を与え、著者はこの賞罰不明を厳しく批判する。

遼の再侵攻の兆し

  • 遼主は光遠誅殺と青州帰順の報に接し再び南侵を図り、趙延寿を先鋒として邢州に迫る。晋の諸軍は邢州・相州付近に集結するが戦わず対峙する中、皇甫遇と慕容彦超が偵察に出たまま日暮れても戻らず、諸将に不安が広がる。

評語

  • 著者は、石晋が遼に臣従したこと自体が大きな誤りであり、重貴が景延広を信用して挑発したことで招いた戦禍は天が晋を滅ぼす兆しだったと評す。延広更迭後の桑維翰は政務を立て直したが、賄賂を公然と受け恩讐に厳しすぎた点は大臣の風格に欠けるとし、また燕雲十六州を遼に割譲した過去の罪も指摘する。楊光遠を明正に処断せず病死と偽って済ませた重貴の姿勢が、後に外夷の力を借りて帝位を狙う者を増やす結果を招いたと結ぶ。