五代史演義第三十五回 李達、唐師を拒み危城を守り、杜威、遼の計に中り孤塞を設く (拒唐師李達守危城 中遼計杜威設孤寨)
建州平定と泉州の内紛
- 捕らわれた王延政は金陵の唐主に赦免され羽林大將軍に任じられ、建州の旧臣も概ね赦される。ただし苛斂誅求で恨みを買った楊思恭のみ処刑され、王崇文が永安節度使として建州を治め民心が安定する。
- 泉州刺史・王継勲と福州の李弘義(李仁達)が対立、弘義の弟・弘通が泉州を攻めるが、泉州指揮使・留従効が継勲を退けて自ら指揮を執り弘通を撃破。唐主は従効を泉州刺史に取り立てる。
陳覚の招諭失敗と福州出兵
- 宋斉邱が朝廷に復帰し、腹心の樞密使・陳覚を福州へ派遣して李弘義の入朝を説得させるが、弘義は威圧的な態度で追い返し交渉は決裂する。
- 面目を失った陳覚は詔を偽って軍を動かし、馮延魯らを将として福州攻撃を強行。唐主は事後にこれを知り激怒するが、既に開戦した以上引けず追認、王崇文・魏岑らを増派して福州外郭を陥落させる。
- 李弘義は弘達と改名して籠城、内応の企ても丁彦貞の決死隊が撃退。孤立無援の中、名を達と改めて呉越へ救援を求める。
呉越の援軍と福州籠城
- 唐軍は漳州の反乱鎮定などで戦力を分散させつつ福州包囲を続けるが、呉越王・銭弘佐は「唇亡歯寒」を説いて援軍二万を派遣、援軍は福州入城に成功し激戦の末どうにか籠城を支える。
- 唐は更に王建封を増派するが、諸将は互いに功を争って足並みが揃わず士気は上がらない。江州観察使・杜昌業は国庫の窮乏を憂える。
定州・孫方簡の離反
- 定州の狼山に拠った孫方簡兄弟は、尼僧の死骸を偽って神格化するなど怪しげな手口で信徒を集め自衛団を組織し、当初は遼の侵入を撃退して晋に帰順していた。
- しかし晋朝が要求に応じないと逆恨みし、遂に遼に寝返って侵攻の道案内役となる。折しも河北は大飢饉で盗賊が横行し、晋は李守貞を北面行営都部署に任じ守りを固めるが、内廷の李彦韜と不和で足並みが乱れる。
劉知遠・郭威の吐谷渾殲滅
- 吐谷渾の一部が河東の禁令を犯し不穏になると、劉知遠は郭威の献策で酋長・白承福を太原城に誘い込み、謀反の濡れ衣を着せて一族四百余人を皆殺しにし財産を没収、河東の勢力を大いに強めた。
- その後の遼の侵入も郭威が陽武谷で撃破するなど緒戦は晋側優勢に見えた。
趙延壽の偽装帰順と瀛州の罠
- 幽州の趙延壽が内応を装う書を送り、樞密使・李崧、馮玉はこれを信じて交渉を進める。実は延壽は遼主に通じており、瀛州刺史・劉延祚の偽りの内応話と併せて晋を誘い出す罠であった。
- 馮玉・李崧は喜んで杜威を都招討使、李守貞を副として大軍を北征させる。趙瑩は「杜威に兵権を委ねるべきでない」と諫めるが容れられず、長雨で行軍は難航する。
梁漢璋の全滅と中渡橋の対陣
- 杜威は瀛州に至るも城門は無人同然で不審に思う中、追撃に出した梁漢璋の部隊が伏兵に包囲され全滅。杜威は恒州へ退き、張彦沢を先鋒に中渡橋で遼軍と対峙、橋を巡る攻防の末に遼軍は橋を焼いて退く。
- 磁州刺史・李穀は浮橋を架けて夜襲する策を献じるが杜威は容れず、日々酒宴に耽り軍議を怠る。
欒城陥落と補給路の遮断
- 遼主は密かに蕭翰らの別働隊を晋軍後方に回し糧道を断ち、守備薄弱な欒城もあっけなく陥落。虚報も相まって輸送隊は糧車を捨てて四散し、動揺は中原一帯に広がる。
- 磁州の李穀は危急を上奏し澶州への遷幸と防備強化を進言するが、使者は途中で遼軍に捕らえられ朝廷との連絡は完全に途絶える。
桑維翰の憂慮と王清の玉砕
- 開封尹・桑維翰が晋主に拝謁を求めるが、主は鷹狩りに興じて会おうとせず、樞密院でも馮玉・李崧に取り合ってもらえず「晋は祭祀も絶えるだろう」と嘆く。
- 中渡橋で膠着する中、指揮使・王清が「自分が先鋒となり橋を奪って恒州入りの道を開く」と杜威に進言し了承を得るが、いざ苦戦しても杜威は一兵も救援に出さない。王清は「上将は我らの包囲を見殺しにする、いっそ死をもって国に報いよう」と部下を励まし奮戦するが、日暮れに遼の新手に包囲され全員討ち死にした。
評語
- 著者は、南唐が全力を挙げても孤城一つ落とせなかったのは将帥不和のためであり、逆に呉越の一軍でも心を一つにすれば福州は容易に落とせたはずと説く。杜威も梁漢璋を失った程度なら大局に響かなかったものが、王清の進言に従わず座視したために良将を喪い強敵を四方に招いたのであり、将帥不和にして戦に勝った例はないと断じ、杜威を「石氏の賊臣」と厳しく評す。