五代史演義第二回 朱母を迎えて親恩に報い、病の張妃と死別す (報親恩歡迎朱母 探妻病慘別張妃)
唐への帰順
- 唐僖宗は蜀に逃れ、諸鎮に黄巣討伐を命じる。河中節度使・王重榮が黄巣に反旗を翻し、黄巣は朱温に河中攻撃を命じるが、温は新婚早々で気が進まないまま出陣し、大敗を喫する。
- 温は黄巣に増援を求めるが聞き入れられず、これは黄巣配下の孟楷の讒言によるものと知る。幕僚・謝瞳の勧めもあり、また妻・張氏の賛同を得て、温は黄巣配下の監軍を斬り、唐に帰順することを決める。
- 唐僖宗はこれを喜び、温に「全忠」の名を賜り、左金吾衛大将軍・河中行営招討副使に任じる。以後温は官軍と共に黄巣討伐にあたり、汴州刺史・宣武軍節度使に任じられて汴州に本拠を移す。
母を汴州に迎える
- 温は使者を送り、蕭県の劉崇家にいる母・王氏と崇の母を汴州へ迎える。五年間音信のなかった朱家では、使者の来訪を当初は災いと誤解し混乱するが、実は温が出世した知らせだったと判明し、朱母は喜びのあまり涙する。
- 温は盛大な儀仗で二人の母を出迎え、宴席でもてなす。朱母が次兄・存の消息を尋ねると、温は存がすでに戦死したと素っ気なく答え、母を悲しませる。
- 母は長兄・全昱や世話になった劉家への恩を忘れぬよう温を諭し、温は劉崇・全昱にそれぞれ多額の金を贈る。
立身と母の訓戒
- 黄巣が泰山で敗死し、唐僖宗が都に戻ると、温は検校司徒・同平章事・沛郡侯に叙せられ、母や兄も次々に恩典を受ける。
- 温が得意になって「先人の名を上げた」と誇ると、母は次兄・存の遺骨がまだ故郷に戻っていないことを指摘し、温を戒める。温は謝罪し、存の遺骨を迎え、遺児二人(友寧・友倫)を引き取る。
- 全昱は封爵を得たのち故郷の午溝里に戻り、温はさらに王爵にまで昇る。
勢力拡大と裏切り
- 温は次第に権勢を強め、恩を仇で返す冷酷な性格を見せ始める。李克用が汴州を助けたにもかかわらず、温は上源駅で李克用の暗殺を謀るが失敗する(唐僖宗中和四年の出来事)。
- その後も秦宗権との抗争、朱瑄・朱瑾兄弟への裏切りと領地強奪、徐州の時溥への攻撃(時溥は一族もろとも自焚)、兗鄆の攻略と朱瑄の殺害、朱瑾の妻を奪って辱めるなど、温は各地で勢力を拡大しながら非道な行いを重ねる(朱瑾の妻は妻・張氏の諫めで出家させられた)。
- 唐の朝廷内でも宦官の専横や皇帝幽閉事件が起き、温はそのたびに介入して勢力を伸ばし、河中・宣武・宣義・天平の節度使を兼ね、最終的に鳳翔の李茂貞を降して唐昭宗を都へ送り返し、梁王に叙せられる。
妻・張氏の死
- 唐室の実権を握った温は帝位簒奪を企て、宮中の兵権を自派で固めるが、汴州の妻・張氏が重病との知らせを受けて急遽帰る。
- 死の床で張氏は、唐にはまだ大恩があるため軽々しく簒奪すべきでないと諫め、もし帝位に就くとしても「戒殺遠色(殺生を慎み色を遠ざけよ)」の四字を遺言として残す。まもなく張氏は世を去り、温は深く悲しむ。
- 張氏は温の乱暴な気性をたびたび和らげ、多くの部下の命を救ったとして「五代随一の賢婦」と評される逸話が紹介される。温の側室たちにも分け隔てなく接していたという。張氏の生んだ子は友貞(のちの梁末帝)。
- 妻の死を悼む詩が挿入される(詩:張氏の聡明さと遺言の重みを讃え、その諫言が用いられなかったことで後の禍を招いたと惜しむ趣旨)。
評語
- 著者は、本回が朱温の母と妻という二人の女性を軸に描かれている点を指摘する。温が母を汴州に迎えたのは孝心というより自らの栄華を誇示するためだったとしつつも、母の訓戒を受けて涙し、兄の遺骨を迎え遺児を引き取った点には、大盗にもなお良心が残っていたと評する。
- 妻・張氏については、正史に詳細な記載がなくとも、賢婦として国家の内助を担った可能性は十分にありうるとし、他の五代の建国者を支えた賢婦たちと並べて、賢婦が国家に与える影響の大きさを強調して結ぶ。