魏鄭公諫錄太宗、自ら喪に臨む(太宗親臨喪)

  • 魏徴の病が篤くなると太宗は自らその邸を訪れて人払いをして語り合い、翌日には手詔を送って「昨日の様子は憂悶が深く見えたが、眠れさえすれば苦しくはないはずだ、お前には古人の風格がある」と伝え、被二張を贈った。
  • 太宗は再び邸を訪れ、魏徴は朝服をまとって拝謁し、太宗は涙を流しながら望みを尋ねたが、魏徴は自身のことよりも国を憂う思いを述べた。太宗はその子叔玉を朝散大夫に任じ牙笏を賜り、李安儼を邸に宿直させて容態を逐一報告させた。皇太子も再度見舞い涙を流した。
  • 魏徴が薨じた夜、太宗は夢に生前の姿を見、朝にその訃報を聞いて赴き慟哭し五日間朝を廃した。皇太子も西華堂で哀悼し、諸王・文武百官・各州の計吏で九品以上の者が皆喪に赴いた。
  • 太宗は魏徴に司空・相衛黎魏洺邢貝七州諸軍事・相州刺史を追贈し、諡を文貞とし、羽葆鼓吹・班剣四十人、絹布千段・米粟千石を賜り、昭陵に陪葬させた。柩には文彩の飾りを施させず、魏徴の生前の志を尊重した。
  • 底本には「牙」字の下に欠文があるとの注記があり、「七州諸軍事相州刺史」については別の史書で「相州都督」とする異同があると付記されている。