魏鄭公諫錄太宗、旧閤に移る(太宗移舊閤)

  • 太宗は疹病のため旧閤に居を移したところ、これを「望陵台を作った」と誹謗する噂が立ったとして激怒し、群臣に噂の出所を調べさせた。
  • 楊師道が「魏徴が言った」と申告したため、太宗が直接魏徴に問いただしたが、魏徴は自らが名指しで奏上すればそれ自体が誹謗になりかねないとして、当初は答えを避けた。
  • 重ねて問われた魏徴は、材料に車十台分の銅を用いたという噂は諫争のための言葉であり、具体的な人名を挙げれば讒謗になるため言わなかったと弁明した。
  • 太宗はこれに強い不満を示し、自分は何でも魏徴に話しているのに魏徴は自分に隠し事をすると咎め、蕭何が漢の高祖に上林の地を求めただけで拘束された故事を引き、魏徴の勲功は蕭何に及ばないのに寵遇を恃んで驕っているのではないかと厳しく詰り、治書侍御史杜正倫に取り調べを命じた。
  • 魏徴は上奏し、事の経緯を釈明した。閤の移築は湿気を避けるための小規模なものだったが、噂を防ぐため楊師道と相談し、名を出さず「浪語だ」とだけ伝えるよう取り決めていたこと、少府監の役人から聞いた「釘鐷が急ぎで十車・五車分必要」という話を楊師道に伝えたのが発端であったことを説明した。
  • 事情を知った太宗は追及をやめ、後日百福殿で魏徴が謝罪に訪れると、韋挺を通じて「昨日は罪重しとしたが、結局は出所を明かしてくれた忠誠に免じて咎めない」と伝えた。魏徴は「拾い上げられて十年、罪は万死に値するが、聖恩に応えられず恐縮するばかり」と応えた。