魏鄭公諫錄太子の師保は古来人選が難しいと答える(對太子師保古難其選)

  • 太宗が、太子の師保は古来人選が難しいとし、周の成王は幼くして周公・召公を保傅としたため賢主となったが、秦の胡亥は始皇の寵臣趙高を傅としたため即位後に功臣を誅し親族を殺す暴政に走り、まもなく滅んだと述べ、人の善悪は身近な者に染まることによると論じた。
  • 太宗は自らを省み、若い頃の交友は柴紹・竇誕のみで、二人とも「益者三友」に当たる人物ではなかったが、即位後の統治は堯・舜の明には及ばぬまでも孫皓・高緯のような暴虐は免れており、身近な者に染まるという説と食い違うと問うた。
  • 魏徴は、中程度の人物は善にも悪にも染まりうるが、上智の人はそもそも染まらないものであり、陛下は天命を受けて乱を平定し民を救い太平をもたらした以上、柴紹・竇誕のような凡庸な交友が聖徳を損なうことはなかったのだと答え、ただ『論語』に言う「鄭声を放ち佞人を遠ざけよ」の教え通り、身近な者との付き合いには深く慎むべきだと諫め、太宗はこれを称えた。