魏鄭公諫錄懐州に上封事した者があると答える(對懷州有上封事者)
- 太宗は侍臣に、先日懐州に行った際、上書する者が「なぜ常に山東の民丁を徴発して苑内の造営に用いるのか、日々の徭役は隋の時と変わらず、懐洛以東の民は既に疲弊しているのに、狩猟が特に頻繁で驕逸な君主だ、今また懐州に来て遊猟すれば洛陽にも戻れなくなるだろう」と述べたことに触れ、四時の狩猟は帝主の常礼であり、今回の懐州行幸は少しも百姓の負担にならなかったのに、上書諫争にはおのずと分限があるはずで、臣下は言葉を尽くすことを貴び主君は改めることを貴ぶのが本来であって、このような誹謗はまるで呪詛のようだと語った。
- 魏徴は、国家が正言の路を開いているからこそ上書する者が非常に多く、陛下が自ら目を通されるのは片言でも取るべきものがあることを期待してのことであり、それゆえ僥倖を狙う者が醜い言葉を並べることも起こる、臣下が君主を諫めるのは甚だ難しく、程よく従容と諷諫して行動を促すのが本旨であり、孔子も「およそ諫めには五つあるが、私は諷諫に従う」と言ったと述べた。
- さらに魏徴は、漢の元帝が宗廟で酎祭を行った後、便門から出て楼船に乗ろうとした際、御史大夫の薛広徳が輿の前で冠を脱ぎ額づいて「橋をお使いください、聞き入れられなければ自ら首を刎ねてその血で車輪を汚し、陛下を廟に入れさせません」と諫めたが元帝は喜ばなかったこと、光禄勲の張猛が「王は聖にして臣は直、というが、船に乗るのは危うく橋を渡るのは安全、聖主は危うきに乗るべきではなく、広徳の言は聞き入れるべきです」と進言し、元帝が「人を諭すというのはこうあるべきだ」と言って橋を用いた故事を引き、この点で張猛はよく君を諫めた者と言えると述べた。