魏鄭公諫錄隋末に百姓が自ら保てなかったと答える(對隋末百姓不自保)
- 太宗は、隋の時代には百姓は財物を持っていても自ら保つことができなかったが、自分が天下を有してより撫養に心を尽くし、無用な課税をせず、人々が皆産業を営みその資財を守れるようにした、これも自分が与えたものだと言えなくもないが、もし自分が求めるところ限りなければ、いくら賞賜を重ねても得られないのと同じであると語った。
- 魏徴は、堯舜が上にあった時も百姓は「耕して食らい、井を鑿ちて飲む、帝に何の力かこの間に有らんや」と言ったとし、今陛下がこのように百姓を含み養っておられるのは、まさに「日用して知らず」という状態だと答えた。
- さらに晋の文公が狩りの際に大沢に迷い込み、漁師に道を問うた故事を挙げた。漁師は道を教える代わりに一つ献言したいと述べ、「鴻鵠が大海を厭うて小沢に移れば繒弋の憂いに遭い、竈鼉が淵を出て浅渚に移れば網羅釣射の憂いに遭う、君が獣を追ってこれほど遠くまで来られたのはなぜか」と諫めた。文公はこれを善しとし従者にその名を記させようとしたが、漁師は「君が天を尊び地に事え、社稷を固め四国を慈しみ、賦斂を薄くし租税を軽くしてこそ臣も与れるが、そうでなければどれほど厚く賞されても保てない」と述べ、辞退して受けなかったという。太宗はこの話を「卿の言う通りである」と評した。