魏鄭公諫錄猛獣を自ら討ち朝夕出入りすることを諫める(諫親格猛獸晨出夜還)

  • 太宗が同州に行幸して校猟し、自ら猛獣を打ち取り、朝早く出て夜遅く帰ることがあった。
  • 魏徴は、『書』が文王が遊猟に耽らなかったことを称え、『傳』が虞箴で夷羿を戒めとしていることを引き、また漢の文帝が霸坂で馬を馳せ下ろうとした際、袁盎が手綱を取って「聖主は危険に乗じず僥倖を求めない」と諫めた故事を挙げた。
  • さらに、漢の武帝が猛獣を格つのを好んだ際、司馬相如が「力は烏獲を、敏捷は慶忌を称えられる勇者でも、思わぬ逸才の獣に遭えば為す術がなく、烏獲の猛さや逄蒙の技があっても枯木朽株のような不測の障害には対処しきれない、万全でも憂いは残る、そもそも天子が近づくべきものではない」と諫めた故事、漢の元帝が泰畤に郊祀した折に留まって狩猟しようとした際、薛廣徳が「関東は困窮し民は流離しているのに、亡秦の鐘を撞き鄭衛の楽を奏で、士卒は暴露し従官は疲弊させてよいのか」と奏し、元帝がその日のうちに宮に還った故事を挙げた。
  • 魏徴は、これら数帝の心も木石ではなく馳騁の楽を好まなかったわけではないが、情を割き身を屈して臣下の言に従ったのは国のためであって己のためではなかったと述べ、車駕が近出のたびに猛獣を自ら打ち取り朝夜行われるのは、万乗の尊い身で闇夜の荒野・深林・豊沢を行くことになり万全の計とは言えないとして、私情の娯楽を割き猛獣を格つ楽しみを捨て、宗廟社稷のため、群臣・万民を安んじるよう願った。
  • 太宗は、「昨夜のことはたまたま気が緩んだだけで故意ではない、今後は深く戒めとする」と述べた。