魏鄭公諫錄高昌平定後の州県化を諫める(諫平髙昌以為州縣)
- 高昌が平定されると、太宗はこれを州県として直轄しようとした。
- 魏徴は、陛下の即位当初に高昌王が来朝したのに、その後商人がしばしば高昌が朝貢を遮り大国を礼遇しないと訴え、王誅を再び加えるに至ったが、罪は文泰一人にとどめて撫育しその子を立てれば、罪を討ち民を弔う威徳が遠方にまで及び国を治める善策となったはずだと述べた。
- 今その土地を利して州県とすれば、常に千余の兵で鎮守し数年ごとに交替させねばならず、往来の途中で死ぬ者が十のうち三、四に及び、衣糧を整え親戚と別れさせることになり、十年の後には隴右が空虚になる。それでいて高昌からは一握りの穀物一尺の布も中国の助けにならず、有用の人を散じて無用の地に事えることになり、その利を見出せないと諫めたが、太宗はこれに従わなかった。