魏鄭公諫錄河南への突厥部落安置を諫める(諫河南安置突厥部落)

  • 代國公李靖・英國公李勣らが突厥の牙帳を撃破し、その部落は延陁に投じる者、西域に投じる者もあったが、多くは帰降した。太宗はこれを河南の地に住まわせようとした。
  • 魏徴は、匈奴がこれほど破滅したことは古来なく、天がその宗廟を絶ったに等しいこと、代々中国を侵し百姓に怨みを負わせてきた以上、帰降しても誅滅できないならせめて河北の故地に還すべきであり、匈奴は人面獸心で我が族類ではなく、強ければ寇盗し弱ければ服従するふりをするだけで恩義を顧みないのが天性であること、秦漢もこれを患い猛将を発して撃退し河南を収めて郡県としたのに、なぜ内地に住まわせるのかと諫めた。降者はすでに十万近くにのぼり、数年で倍に増え、王畿の間近に居座れば心腹の疾いとなり後患になると説いた。
  • 温彦博は、天子が万物を覆い載せる以上、帰服する者は必ず養うべきで、今突厥が服し滅んで残った部落が帰附するのに憐愍せず捨て置けば天地の道に背き四夷の心を阻むことになり、河南に居らせても患いはなく、これは死者を生かし亡びた者を存続させることで、恩恵に懐いて叛逆はないと反論した。
  • 魏徴は、晋代に鮮卑の部落が近郡に分居した際、郭欽・江統が塞北へ追い返すよう請うたのに武帝が容れず、数年後についに洛陽が覆った例を挙げ、前代の覆車の戒めは遠くないのに彦博の言に従って河南に住まわせれば「虎を養って自ら患いを遺す」ことになると重ねて反論した。
  • 温彦博はさらに、聖人の道はあまねく通じ古の哲王も教えあって差別しないものであり、突厥の残りが命を帰して我らに従うなら内地に住まわせて教導し礼法を示せば数年で農夫となり、その酋長を選んで宿衛に置けば威を畏れ徳を懐いて患いはなく、光武帝が南単于を内部に住まわせ漢の藩屏として一代叛逆がなかった例もあると述べた。太宗は結局彦博の策を用いた。