魏鄭公諫錄諫を聴く態度が貞観初と異なることを諫める(諫聴諫與貞觀初不同)

  • 太宗は両儀殿で魏徴に、近年の自らの施政の得失について問うた。魏徴は、遠方の異民族の朝貢という点では貞観初年と比べて等級で論じられないほど盛んになったが、徳義が人心に潜通し人々が心服するという点では、貞観初年に比べてむしろ大きく後退したと答えた。太宗が「遠夷の朝貢は徳義の広まりによるはずなのに、徳義が及ばず功業だけが増すことがあり得るのか」と問うと、魏徴は、天下未定の頃は常に徳義を心の中心に置いていたが、今は国内が安定したことでかえって驕り贅沢に流れつつあり、そのために功業は盛んでも往時には及ばないと答えた。
  • 太宗が「今の行いと以前とで何が違うのか」と重ねて問うと、魏徴は具体例を挙げた。貞観初年、即位直後に元律師が死罪に処せられようとした際、孫伏伽が「法に死罪の規定がないのに濫りに加えてはならない」と諫めると、太宗は蘭陵公主の園を銭百万相当で孫伏伽に賜った。ある者が「言葉は平凡なのに賞が厚すぎる」と言うと、太宗は「即位以来まだ諫める者がいなかったので、これを賞して諫言を導いたのだ」と答えた。これが「導いて言わせる」姿勢である。
  • また、某州の司戸参軍柳雄が隋の資歴を偽って高い等級を得ていたことを告発された際、太宗は自首すれば許すが自首しなければ死罪とすると命じた。柳雄は虚偽の申告を通し自首しなかったが、大理寺の調べでその偽りが発覚した。太宗が柳雄を死罪にしようとすると、少卿戴冑は「法では徒刑に止まる」と上奏した。太宗が「既に死罪と決めた」と言うと、戴冑は「陛下がその場で殺されるのは陛下の権限だが、法司に委ねられた以上、法に死罪の規定がない罪を酷しく科すことはできない」と争い、四、五度に及んだ末に太宗はついに折れて柳雄を赦した。太宗は「法を守り通す者こそが私を助けるのであり、濫りに誅殺を恐れる必要はない」と述べた。これが「喜んで諫めに従う」姿勢である。
  • 一方、某県丞の皇甫徳参が上書して太宗の意に逆らったとき、太宗はこれを誹謗と見なした。魏徴は前漢の賈誼の上書の例を引いて諫め、その場では太宗も従って絹二十匹を賜ったが、内心では不満であった。魏徴はこれを「諫言を受け入れるのに難色を示した小さな例」として挙げた。
  • 太宗は、「まさに公の言う通りだ。公でなければこれを指摘できる者はいない。人はみな自分の変化に気づかないものだ。公がこの話をする前は、自分の行いは変わっていないと思っていたが、公の説くところを聞いて初めて志が移ろっていたことを悟った。公は常にこの心を保ってほしい。私も終生、公の言葉に背かない」と述べた。