魏書卷七十九 列傳第六十七 劉道斌

劉道斌

  • 劉道斌、武邑灌津の人、自ら中山靖王勝の後裔と称した。幼くして学を好み器幹あり、成長すると腰帯十囲、鬚髯が美しかった。孝廉に挙げられ入京し校書郎、主書に転じ高祖に知られた。南陽征討に従軍、帰って積射将軍・給事中を加えられた。高祖は黄門侍郎邢巒に「道斌はこの段の挙(推挙)によって同輩と異なる者となった」と述べた。世宗即位後、謁者僕射に遷り歩兵校尉・広武将軍・中書舎人を領し、武邑太守に出た。当時冀州は元愉の反乱の後で連年の災害・凶作もあり、道斌はたびたび租賦の免除を上表し、百姓はこれに頼った。
  • 郡を辞め帰り右将軍・太中大夫、また本将軍のまま恒農太守に出、岐州刺史に遷り、任地で清治の評判を得た。正光4年(523年)州で死去、平東将軍・滄州刺史を追贈、後に済州に改贈、諡は康。道斌は恒農で学館を修め孔子廟堂を建て図画を描いた。郡を去った後、民はこれを追慕し、道斌の像を孔子像の西に描いて拝謁した。子の士長は武定中(543-550年)碭郡太守で死去した。