魏書卷七十九 列傳第六十七 劉桃符
劉桃符
- 劉桃符、中山盧奴の人。生まれて父を知らず、9歳で母を喪った。性は恭謹で学を好み、孝廉に挙げられ射策で甲科、碎職を歴任。景明中(500-503年)羽林監・主書を領した。蕭寶夤の降伏の際、桃符は詔を受けて迎接、奉車都尉・長水校尉・游撃将軍を歴任。正始中(504-508年)征虜将軍・中書舍人、勤勉と明敏を知られながら長く昇進しなかった。世宗は「揚子雲は黄門となって3世を経た、卿はこの任に就いてまだ10年、辞する必要はない」と述べた。
- 東豫州刺史田益宗が辺境で貪穢だったため、世宗はたびたび桃符を使者として慰喩させた。桃符は益宗が既に老耄しており諸子が不当に事を処理していることを詳しく報告、世宗は後に益宗を代えようと考えたが背叛を恐れ、桃符を征虜将軍・豫州刺史に任じ、後軍将軍李世哲と共に軍を率い益宗を襲わせた(詳細は『田益宗伝』にある)。桃符は蛮左をよく撫恤し民吏に慕われた。しばらくして召還され病で死去、年51。後将軍・洛州刺史を追贈。子の景均は殿中侍御史。