魏書卷七十六 列傳第六十四 盧同

勲功簿の粛清

  • 字叔倫、范陽涿の人、盧元の族孫。父・盧輔(字顕元)は本州別駕。同は身長八尺、容貌魁偉で処世に長けた。太和中(477〜499年)北海王元詳国常侍から司空祭酒・昌黎太守・営州長史等を歴任。
  • 河南尹丞、太尉属を経て豫州城民白早生の反乱に軍司として従軍、冀州鎮東府長史等を歴任。延昌中(512〜515年)秦州民の反乱を慰諭で鎮め、尚書右丞・輔国将軍(父の諱により拝命辞退)を経て熙平初(516年頃)尚書左丞・征虜将軍。
  • 相州刺史奚康生が過大な絹の徴収で名誉を得ていた不正を歳禄の実態調査から暴き弾劾、詔で康生の罪を糺し同の功を褒めた。
  • 肅宗の代、軍功詐称が横行していたため吏部の勲書を点検し竊階(不正な階級取得)三百余人を摘発。上表して詳細な改革案(黄素の書式で本属を明記し統将・都督・行台の各段階で印を捺す二重帳簿制、在軍時の勲功記録の即時発行と分割保管、三年を期限とした叙任の徹底など)を献じ、詔はこれに従った。
  • 中山王元熙の元乂への挙兵鎮圧に際し慰労使として赴き熙を処刑、平東将軍・光禄大夫・本州大中正となったが、元乂への迎合が過ぎるとの批判もあった。兄・盧琇のために自らの二階昇進を回して安州刺史とする善行も伝わる。
  • 営州城民就徳興の反乱では度支尚書として慰労使を務め、家族の解放を条件に一時降伏させたが再叛し、幽州刺史・尚書行台として討伐に赴くも敗北。靈太后の反政で元乂党として除名されたが、孝昌三年(527年)復官、齊兖二州行台を経て莊帝即位で本秩復帰、都官尚書・七兵尚書等を歴任。章武県開国伯(食邑四百戸)に封ぜられた。
  • 侍中・驃騎将軍・左光禄大夫を経て、前廃帝との旧誼により儀同三司を賜った。永熙初(532年頃)享年五十六で薨去。贈侍中・都督冀滄瀛三州諸軍事・驃騎大将軍・司空公・冀州刺史、諡は孝穆。四子あり、長子・盧斐は武定中文襄王大将軍府掾、その弟・盧筠は青州治中。兄・盧静は太常丞、その子・盧景裕は儒林伝に伝がある。