魏書卷七十二 列傳第六十 李叔虎

清直の吏

  • 渤海脩の人。従祖・李金は世祖の神䴥中(428〜431年)髙允と共に徴されて征南従事中郎となった。叔虎は学を好み識量があり、太和中(477〜499年)中書博士、清河の崔光・河間の邢巒と親交した。国子博士・本国中正・樂陵中正を兼任し公平で称された。
  • 高陽王雍の諮議参軍として重用され、行華州事等を歴任。永平四年(511年)卒去、享年五十四。贈冠軍将軍・南青州刺史、諡は穆。

李叔虎の一族(附伝)

  • 兄・李叔寳は秀才に挙げられ頓丘公国郎中令等を歴任、延昌末(515年頃)弟・李臺戸と従弟・李歸伯の沙門法慶の乱への連座で獄死。子・李伯冑は光禄大夫。
  • 叔寳の従弟・李鳳は京兆王元愉の逆に連座した弟のため除名。李鳳の従子・李長仁(字景安)は秀才に挙げられ、沛郡・彭城太守を歴任、尉元の南境討定に従い延陵男を賜った。使者として劉準(南斉)に赴き、北海内史等を歴任、武定中贈安南将軍・七兵尚書・冀州刺史。
  • 李長仁の従弟・李述(字道興)は秀才に挙げられ長安で燕宣王廟を祭った。子・李象(字孟則)は清簡で学識があり、多くの官職を経て齊文襄王の開府諮議参軍・征東将軍、興和二年(540年)蕭衍への使者を務め興和三年卒去、贈驃騎大将軍・儀同三司・冀州刺史、諡は文簡(子・李子貞が義兵に参加した功による)。子・李子貞は吏部郎中・兗州刺史を歴任したが貪汚で賜死。