清廉な地方官
- 字伯瑞、陽平清淵の人。祖・路綽は陽平太守。恃慶は幹用があり広平の宋飜と並び称され、相州刺史李安世の推挙を受けた。太和中(477〜499年)奉朝請、従兄・路文舉に譲ろうとしたが高祖は両者ともに任用した。
- 尚書儀曹郎・左民郎、華州安定王征虜府長史、定州河間王琛長史等を歴任、琛の貪暴を諌め続けた。享年四十八で卒去、贈左将軍・安州刺史、諡は襄。子・路祖璧は給事中。
路恃慶の一族(附伝)
- 弟・路仲信は太尉参軍から奉車都尉開府掾、章武王元融の葛榮討伐で都督府長史を務めたが融の敗北で免官。弟の路思略(字叔約)は冀州安東府騎軍参軍。子・路祖遺は武定末太学博士。
- 路思略の弟・路思令(字季儁)は広陽王・司空の参軍を歴任、天下多事の折に将帥の劣化を憂う長大な上疏(寵貴の子弟が軍を統べ実戦経験なく、賞罰が乱れ士気が失われている現状を批判し、選抜と訓練の徹底を説く内容)を献じた。
- 思令は南冀州刺史として葛榮配下の據季虎を高唐城で夜襲して大破、流民の統治にも功があり、金紫光禄大夫・衛将軍・右光禄大夫を歴任。天平三年(536年)三月卒去、享年五十一、贈驃騎将軍・定州刺史。
- 恃慶の従叔・路景略は中書博士・尚書郎・本郡中正を歴任、斉州・魏郡・平原二郡太守。弟・路雄(字仲略)は容貌に優れ軍功で給事中、高祖に「尚書郎の才」と評されたが李沖の勧めで武職に転じ、太尉咸陽王録事参軍・伏波将軍・奉車都尉を歴任、贈頓邱太守。
- 景略の従祖弟・路法常は郡功曹を早世、儀同李神儁に「名士たり得る器量」と惜しまれた。