魏書卷五十九 列傳第四十七 蕭正表

生涯

  • 字公儀。蕭衍の弟・臨川王宣達の子。容貌に優れたが、性格は暗愚とされた。
  • 山陰県開国侯に封じられ諸官を歴任、正光三年(522年)一時北魏に投降したが評価されず斉へ帰った。
  • 侯景の乱に際し、蕭衍への恨みを持つ蕭正徳と結び、侯景が江を渡ると北徐州刺史として景の側につき、南兖州刺史・南郡王に封じられたが、のち武定七年(549年)北魏に帰順した。
  • 蘭陵郡開国公・呉郡王等に封じられ厚遇されたが、同年冬、享年四十二で薨去。都督徐揚兖豫済五州諸軍事・驃騎大将軍・司空公・徐州刺史を追贈され、諡は昭烈。

史論

劉昶は猜疑から禍を恐れて北へ逃れ、蕭寶夤も南朝滅亡の余波で身を潜め北朝に仕えたが、いずれも報恩の志を貫くには至らなかった。劉昶の子らは軽薄で家業を失い、蕭寶夤は恩義に背き禍を招いた。これもまた夷狄的な軽薄さの常というべきであろう。天はその罪を重んじ、一族が母子兄弟で相殺し合うに至ったのは、悪の積み重ねの結果である。蕭贊は辺境で危機を脱しながらも復讐すべき敵から寵禄を受けるに至り、吉凶が相応じることを示した。蕭正表が大国に帰順して名族として遇されたのは、まずまず幸運であったと言えよう。