魏書卷五十二 列傳第四十 趙柔

趙柔

趙柔、字は元順、金城の人。若くして徳行才学をもって河右に知られ、沮渠牧犍の時に金部郎となった。世祖が涼州を平定すると京師に内徙され髙宗践祚に伴い著作郎を拝し、後に歴効の績により河内太守に出て仁恵を著した。柔はかつて路で人の遺した金珠一貫(価直数百縑)を得て持ち主を呼び返した。また、ある人が柔に鏵数百枚を贈った際、柔は子の善明と市で売ろうとしたところ、柔に索絹二十匹で買おうとする者があったが、別の商人がその価が安いことを知り三十匹で買おうと言ってきた。善明がそちらを取ろうとすると柔は「人と交易するとき、一言で約束が定まれば、それを利で動かしてよいはずがない」と言って先の約束通りに与えた。搢紳の流はこれを聞いて敬服した。その推誠秉信はみなこの類であった。隴西王源賀が仏経の幽旨を採り祗洹精舍図偈六巻を作った際、柔がこれに注解をつけ理に適い、当時の儁僧に欽味された。また碑銘讚も多く世に行われた。子の趙黙(字冲明)は武威太守。