魏書卷五十二 列傳第四十 闞駰
闞駰
闞駰、字は元陰、敦煌の人。祖の闞倞は西土に名があり、父の闞玖は一時の秀士で会稽令に至った。駰は経伝に博く通じ聡敏は人に過ぎ、三史群言は目を通せば誦じ、時人は「宿読」と呼んだ。王朗の易伝に注をつけ学者はこれによって経に通じ、『十三州志』を撰して世に行われた。蒙遜はこれを重んじ常に左右に侍らせ政治の損益を諮問し、祕書考課郎中を拝し文吏三十人を給し経籍を典校させ諸子三千余巻を刋定し、奉車都尉を加えた。牧犍はさらに重んじ大行を拝し尚書に遷った。姑臧が平定されると平楽王丕が涼州に鎮するや従事中郎に引かれ、王の薨去後は京師に還ったが家は甚だ貧敝で飢寒を免れなかった。性は多食で一飯で三升に至って初めて満腹した。卒し子はなかった。