魏書卷四十四 列傳第三十二 和其奴

和其奴

  • 和其奴、代の人。少くして操行あり善く射御し初め三郎より羽林中郎に転じ、恭勤の称により東陽子を賜爵し奮武將軍を除せられた。高祖初年、尚書に遷り散騎常侍を加え平昌公に爵を進め安南將軍を拝し尚書左僕射に遷った。太安元年(455年)詔により群臣が皇太子の名を議した際、其奴は司徒麗らとともに徳をもって命名すべきとし帝はこれに従った。また河東王閭毗・太宰常英らとともに尚書事を平らげ、官にあって法を愼み私請を受けなかった。この時、吐谷渾征伐に西征した諸將が淹停して進まなかったため久しく囚われ未決であったが、其奴は尚書毛法仁らとともにその状を窮問し連日で具伏させた。和平六年(465年)司空に遷り侍中を加え、高宗が崩じると乙渾は林金閭とともに尚書楊保年らを擅殺し、殿中尚書元郁は殿中の宿衛士を率いて渾に兵を加えようとしたが、渾は懼れて咎を金閭に帰し金閭を執えて郁に付した。その時、其奴は金閭の罪悪が未だ分かたぬとしてこれを出し定州刺史とした。皇興元年(467年)長安鎮將東平王道符が反すると詔により其奴は征西大將軍を領し殿中の精甲萬騎を率いてこれを討ったが、未だ至らぬうちに道符は敗れ軍は還った。三年、薨じ、内外はみな歎惜し平昌王を贈られ諡を宣とした。

其奴の子・天受

  • 天受、爵を襲ぎ初め内行令となり太和六年(482年)弩庫曹下大夫に遷り卒した。