魏書卷四十三 列傳第三十一 嚴稜
嚴稜
- 嚴稜、馮翊臨晉の人。乱を避けて河南に地を避け、劉裕により廣威将軍・陳留太守として倉垣に戍した。泰常中、山陽公奚斤の南討軍が潁川に至ると、稜は文武五百人を率いて斤に降り、太宗(明元帝)は冀州で稜を朝せさせその誠款を嘉し平逺将軍を拝し郃陽侯を賜爵、假荆州刺史として南討に従駕し還って上客となった。世祖践祚に及び稜の帰化の功により中山太守を除せられ清廉の称あり、年九十で家で卒した。
稜の子・稚玉
- 稚玉、爵を襲ぐ。真君中、詔により稚玉は長安鎮将元蘭を副け衆一萬を率いて漢川の附化の民を斜谷より甘亭に迎えたが、劉義隆の梁州刺史王元載が将を遣わして険路を拒み通じず班師した。太和二年(478年)太倉令となり、五年、出でて平南将軍・東兗州刺史・假馮翊公となり卒した。
稚玉の子・曇
- 曇、爵を襲いだ。