魏書卷十九上 列傳第七上 樂浪王萬壽
樂浪王萬壽・樂平・長命・忠
樂浪王萬壽は和平三年(462年)に封じられ、征東大将軍を拝命し和龍に鎮した。性貪暴で、召還される途中憂憤のうちに薨じ、諡は厲王。子の康王樂平が爵を襲ぎ薨じた。子の長命が爵を襲いだが人を殺した罪により賜死され、国は除かれた。子の忠は肅宗の時、前爵を回復され太常少卿の位にあった。出帝が天淵池で舟遊びした際、宗室諸王を陪宴に召したが、忠は愚かで智に欠け、衣服を好む性質から紅羅の襦に繍で領を作り、碧紬の袴に錦の縁をつけて着用した。帝が「朝廷の衣冠には常式があるべきなのに、なぜ百戲の衣を着るのか」と問うと、忠は「臣は若い頃から綺羅を愛し、歌衣舞服こそ臣の願うところです」と答えた。帝は「人の不良なることかくの如きに至るか」と述べた。