元史演義諫官を辱め特権をもち科挙を停め、太后を尊び例を変じ徽称を進む(第五 十回 辱諫官特權停科舉 尊太后變例晉徽稱)
徹里帖木兒の科挙廃止論
- 右丞相伯顏は逆党討伐後、権勢を独占し専横を強めた。
- 江浙平章から中書平章政事に転じた徹里帖木児は、科挙を廃止し、学校荘田を衛士の衣糧に充てるよう献策。
- 御史呂思誠らが弾劾したが容れられず、思誠は広西僉事に左遷、他の言官も辞職。
許有壬と伯顏の問答
- 参政許有壬が伯顏を訪ね、科挙廃止の詔がすでに準備されていることを知り翻意を求める。
- 伯顏は科挙出身者の腐敗を理由に反対、有壬は科挙の意義と選法との整合性を説くが、伯顏は「既に決定済み」と押し切る。
科挙廃止の断行と有壬の恥辱
- 伯顏は翌日、順帝に詔書へ捺印させ、あえて有壬を班首に指名して詔を読み上げさせ、恥をかかせた。
- 治書御史普化に皮肉を言われた有壬は、以前普化と共に阻止を誓っていた手前もあり、面目を失い病と称して出仕を控えた。
- 科挙は廃止され、儒学貢士の荘田租は宿衛の衣糧に転用された。士人は不満を抱いたが黙するしかなかった。
改元と至元年号の復活
- 天変(熒惑犯南斗など)が続き順帝が憂慮するも、伯顏は意に介さない。
- 順帝は世祖の年号「至元」にあやかろうと改元を発案、伯顏の同意を得て断行。
- 監察御史李好文は改元の無意味さを訴える上奏を準備するが、間に合わず詔がすでに出されていた。
太皇太后への尊号問題
- 李好文は許有壬を訪ね、皇太后を「太皇太后」に格上げする議論があることを知り驚く。
- 二人は不合理さ(叔母を祖母格に上げること)を語り合い、諫言の必要を確認。
- 監察御史泰不華も同志を募り上奏、有壬も奏稿を作成し提出。
泰不華の覚悟と皇太后の意外な反応
- 上奏後、皇太后が激怒し言官を処罰するとの噂が広がり同僚は動揺するが、泰不華は責任を一身に負うと泰然としていた。
- 意外にも皇太后は翻意し、直言を賞して泰不華らに金幣を下賜。有壬は特に恩賞なし。
- 太皇太后への尊号「贊天開聖徽懿宣詔貞文慈佑儲善衍慶福元太皇太后」が正式に定められ、詔で中外に告げられた。
太皇太后の朝賀と徹里帖木兒の失脚
- 太皇太后は興聖殿で諸王百官の朝賀を受け、盛儀が催された。反対した者も表向きは祝賀に加わった。
- 慶賀の後、諸王百官に金銀鈔幣が下賜されたが、徹里帖木兒は妻の弟を自分の娘と偽って珠袍などを不正に受給。
- 御史台官がこれを弾劾し、あわせて徹里帖木兒がかつて武宗を「那壁(彼)」と呼び捨てにしていたことも指摘。
- 順帝が伯顏に諮ると、伯顏は左遷を主張し、徹里帖木兒は南安へ流された(伯顏はかつての腹心を切り捨てた形)。
評語
- 著者は、伯顏の科挙廃止は得失論というより、徹里帖木児の言に乗じ私党を用いるための専断だったと評す。
- 改元や太皇太后尊号の一件も、表向きは朝廷の事績だが、実質は伯顏の下克上・上への欺瞞を象徴するもので、暗にその専横を批判する趣旨だとまとめている。