元史演義第五十一回 功を妨げ能を害し淫威主を震わし、忠を竭くし国に報い大義親を滅す (妨功害能淫威震主 竭忠報國大義滅親)

伯顏の専横と恩賞

  • 順帝は伯顏を厚遇し、伯顏の求めで生母邁来迪を貞裕徽聖皇后に追尊。
  • 伯顏に「塔剌罕」の世襲称号を与え、弟の馬紮爾台を王に封じようとしたが、馬紮爾台は兄が既に秦王であることを理由に固辞し、太保として北方鎮撫に赴いた。

各地の反乱勃発

  • 広東の朱光卿らが「大金国」を称して蜂起、恵州の聶秀卿も呼応。
  • 河南で棒胡も挙兵し中原が動揺、河南左丞慶童が討伐して戦利品を献上。

漢人弾圧をめぐる伯顏と許有壬の対立

  • 伯顏は反乱の責任を漢人・漢官に帰そうとするが、参政許有壬が先手を打って厳罰方針を進言し、順帝も漢官に取締りを命じたため、伯顏は目論見を外れて退出。
  • のち四川の韓法師の乱なども鎮圧されるが、伯顏は反乱鎮圧で捕らえた張・王・劉・李・趙の五姓漢人を皆殺しにするよう進言、順帝はこれを退ける。

伯顏の権勢絶頂

  • 至元四年、雨雹などの怪異が続く中でも漳州・袁州の反乱鎮圧の功を伯顏に帰し、生祠が建てられ、大丞相に晋封、金符などを賜る。
  • 伯顏は親衛軍を私党で固め、儀衛は帝より盛んになり、順帝の伯顏への感情は畏怖に変わっていく。

郯王殺害と二王追放

  • 伯顏は自分と不和の郯王徹徹禿を誣告して誅殺を求めるが、順帝は疑い留め置く。
  • 伯顏はさらに宣讓王・威順王の誅逐も求めるが証拠薄弱で順帝は默する。
  • 伯顏は独断で偽の詔を作り郯王を殺害、両王も追放してしまう。順帝は激怒するが実権がなく耐え忍ぶ。

脱脱の登場と大義滅親の決意

  • 伯顏の甥・脱脱(馬紮爾台の長子)は伯父の専横を憂い、父や師の吳直方に相談。
  • 吳直方は「大義滅親」を説き、脱脱は国のために動く決意を固める。
  • 脱脱は順帝の腹心阿魯・世傑班とも親交を結び忠誠を示し、信頼を得る。

廃立の陰謀と脱脱の反撃

  • 順帝は脱脱に伯顏の跋扈を打ち明け、脱脱は父の轍を踏まぬよう協力を誓う。
  • 伯顏は順帝の外出(柳林行幸)に乗じ、太子燕帖古思を擁して廃立を企てる。
  • 脱脱は都の城門を固め、密使月可察兒を柳林へ送り太子を連れ戻し、詔で伯顏を河南行省左丞相に貶める。

伯顏の末路

  • 城門で脱脱に締め出された伯顏は入城を拒まれ、従者も散り、南方へ落ちのびる途中、さらに南恩州陽春県への配流を命じられる。
  • 江西隆興駅で病に倒れ、冷遇される中で客死した。

脱脱の新政

  • 馬紮爾台は太師右丞相として召還、脱脱は知樞密院事に、他の功労者も褒賞。
  • 脱脱は伯顏の旧政を改め、科挙を復活、郯王の冤罪を雪ぎ、宣讓・威順二王を召還、馬禁緩和・塩税減免・未納税の免除・経筵再開などを行い、賢相と称された。

評語

  • 著者は、伯顏が唐其勢平定の功に驕り、順后弑害から専政・郯王殺害・二王追放に至るまで極悪であったのに処罰が軽すぎたと述べつつ、脱脱の大義滅親によってようやく報いを受けたことを、天が甥の手を借りて報復させたものだと評している。