元史演義第三十三回 孝養を隆んにし相次ぎ冊宝を呈し、逆謀を泄らし典刑を立正す (隆孝養迭呈冊寶 泄逆謀立正典刑)
英宗の即位
- 太子碩徳八剌が大明殿で即位(英宗)。仁宗を追諡し、太皇太后弘吉剌氏・皇太后鴻吉哩氏への尊号冊文が奉られた。太后はかねて和世梀より従順な碩徳八剌の立太子を勧めていたが、いざ即位すると太子は太后の専断に容易に従わず、太后は「立てるべきでなかった」と後悔し、以後心を病んでいった。
李孟の晩年
- 鉄木迭児は上柱国太師に進み、あわよくば李孟を陥れようと集賢侍講学士に降格して召したが、李孟は素直に応じ、英宗の慰労を受けて讒言は通じなかった。李孟は間もなく病没し、のちに名誉を回復されて太保・魏国公を追贈された。
賀巴延の獄死と趙世延の受難
- 鉄木迭児は上都行幸の際、留守の賀巴延を遅参と称して弾劾し、罷免のうえ密かに獄死させた。
- 趙世延は従弟胥益児哈呼に讒言させられ逮問されたが、大赦により罪を免れた。鉄木迭児はなおも自裁を迫ったが、英宗の慎重な扱いにより世延は投獄されつつも命を保った。英宗は世延の忠誠を認め、鉄木迭児の私怨に加担することを拒んだ。
太皇太后周辺の謀反計画
- 病床の太皇太后は鉄木迭児に「見切りをつけよ」と諭したが、寵臣の老女亦列失八は英宗排除を鉄木迭児に持ちかけた。鉄木迭児は表向き関与を拒みつつ黙認する態度を取った。
- 亦列失八は平章政事黒驢、徽政使失列門、平章政事哈克繖、御史大夫脱武哈らと密議を重ね、機会をうかがった。
拝住の活躍と謀反の鎮圧
- 木華黎の後裔・安童の孫にあたる拝住は幼くして父を失い、厳格な母怯烈氏に育てられ、英宗の信任を得て平章政事、のち左丞相に抜擢された。
- 拝住は密かに謀反の動きを察知し英宗に報告。英宗の斎宮参籠の隙を狙った暗殺計画が発覚すると、英宗は即断して拝住に鎮圧を命じ、黒驢・失列門・哈克繖・脱忒哈および亦列失八の五名を捕らえて即刻処刑した。
評語
原文著者は、太皇太后の冊文を掲げたのは禍の根源を明らかにするためであるとし、順宗の正妃として二子一孫を天子とした稀有な栄達を得ながら、その裏で亦列失八ら側近と鉄木迭児・失列門・哈克繖らが結託し、ついには宮廷内の謀反にまで至ったことを指弾する。丞相拝住がいなければ英宗は南坡の変を待たずして弑逆されていたであろうとし、本回は奸党の列伝であると同時に太后の実質的な列伝でもあると結ぶ。