元史演義第二十四回 海都汗兵を連ね釁を構え、乃顔王敗走し擒えらる (海都汗連兵構釁 乃顏王敗走遭擒)
東関の敗走と脱歓の脱出
- 東関で安南軍の猛攻を受けた元軍は苦戦し、阿八赤・樊楫は脱歓を変装させて逃がし、自らは殿軍として戦死した。脱歓は辛くも思明州まで逃れたが、損害は前回以上に大きかった。
- 世祖は脱歓の二度の敗戦に激怒し、揚州鎮守に留め置いて二度と朝見を許さなかった。
緬国・南方諸国への遠征
- 安南は貢物を献じて謝罪し、南征は一旦収まった。
- 一方、相答吾児・台布らの緬国遠征は成功し、緬甸は服属。印度・暹羅・南洋諸国も相次いで元に入貢した。
盧世榮の財政と失脚
- 世祖は財源確保のため盧世榮を登用したが、交鈔濫発など弊政を重ね、陳天祥の弾劾により処刑された。
皇太子真金の死
- 王著の阿合馬暗殺事件以来心労を重ねていた皇太子真金は、南台御史の内禅上奏を巡る騒動でさらに憂慮を深め、病没した。
元の分封体制と四汗国
- 著者は元の分裂の背景として、太祖以来の広大な版図とその中で分封された四大汗国(伊児汗国・欽察汗国・察合台汗国・窩闊台汗国)の成立経緯を概説する。
- 世祖はこれらを行省・元帥府を通じて監督する体制を敷いたが、後に内紛の種となったと指摘する。
海都の台頭と諸汗国の抗争
- 窩闊台汗国の海都は世祖への不満を蓄積し、察合台汗国の亜児古を廃して自派の八剌を擁立するなど諸汗国を巻き込む策謀を進めた。
- 海都・八剌・欽察汗の三者は離合集散の末に和睦し、怛羅斯河畔の会盟で海都を蒙古大汗に推戴した。
伊児汗国の抵抗
- 海都は伊児汗国にも同調を求めたが、旭烈兀の子阿八哈はこれを拒み、海都・八剌の連合軍を伏兵で撃退した。阿八哈没後は内紛もあり、海都の勢力はさらに拡大した。
昔里吉の反乱と伯顏の鎮圧
- 世祖は皇子耶木罕らを防衛に当たらせたが、憲宗の子昔里吉が海都に呼応して反乱し、耶木罕・安童を拘禁した。
- 伯顏が急行して昔里吉軍を撃破し、両名を救出したが、昔里吉自身は逃走した。
乃顏の反乱
- 別勒古台の子孫である乃顏が海都に呼応して挙兵の動きを見せ、世祖は伯顏を派遣して説得を試みたが失敗。伯顏は夜陰に紛れて脱出した。
世祖の親征と乃顏討伐
- 世祖はまず阿沙不花に諸王への懐柔工作を行わせ、乃顏を孤立させた上で親征を決意。財政は桑哥に任せた。
- 葉李の献策により漢軍を先鋒に立てて奇襲策を用い、乃顏軍と激戦を交えた。
乃顏の敗北と処刑
- 両軍の対陣が続く中、鉄哥の計略で偽装退陣の噂を流し、乃顏軍を動揺させて撤退させたところを李庭らが夜襲。
- 乃顏軍は総崩れとなり、乃顏自身も落馬して捕らえられ、処刑された。
残党討伐
- 乃顏の残党討伐では塔出が奮戦し、大撤抜都児・帖古歹らの軍を撃破。懿州の民衆は塔出の功を讃えたが、塔出は謙遜してこれを退けた。
- 世祖はこの功を賞したが、海都はなお和林方面で活動を続けており、皇孫鉄木耳・伯顏らが引き続き備えを固めるところで回が終わる。
評語
著者は、海都の反乱に諸汗国や乃顏らが呼応したことを、モンゴルの分封と同族間の残忍な争いの必然的な帰結だと論じる。憲宗蒙哥が正当な手続きを経ずに帝位に就いたことが同族殺戮の先例となり、世祖もまた武力と重税を重ねたことで内乱を招いたと指摘し、当時は全盛期であったため滅亡には至らなかったものの、すでに衰亡の兆しが見えていたとして読者に警鐘を鳴らす。